<音について語ろう>「五感で楽しむ鎌倉の音」

 多摩市の女性合唱団の指導に通っていた頃、当地の少年少女合唱団から急な予期もしない指導依頼を受けた。数日後に練習会場に伺うと、そこでは合唱に手話を付けて歌っていた。その伸びやかな表現と澄み切った歌声に魅了され、喜んで引き受けることにした。しかし、当時は手話というものに、触れることもなく過ごしていた。指導者としては基本だけでも学ばなければと考え、鎌倉市の広報で市が主催する手話講習会があることを知り参加することにした。
60歳からの手習いに戸惑いを覚えながらも優しい先生方のご指導により、2年間通い中級の課程を終了することができた。そこで学んだ技術的な事柄は残念ながら失念してしまったが、音は耳の働きだけで聴くものではなく、五感を総動員して感じるものであり、また表現するものであるということを学ぶことができた。これは音楽を志す者にとって演奏表現の根幹を成すものであり、手話表現の神髄でもあるのではないかと考えている。もちろん五感は、個々に独自の機能を持ちながら存在しているが、それらが互いに結びつき補完し合うことによって、より豊かな感性へと昇華していくのではないかと感じている。
中国の教えに「60にして耳順(じじゅん」とある。50歳にして天命を知り、60歳になったら耳にしたがいなさいという意味のようである。今では60歳の時に子どもたちの合唱に触れたことが、大きな心の糧となり五感で音を感じる転機になったような気がして感謝している。

それでは、この五感を使って鎌倉の音を楽しんでみましょう! これはコロナ禍で、それまで健康維持のために友人と通っていた鎌倉体育館の使い勝手が悪くなり、散歩を始めたのがきっ掛けである。その道順に沿って歩きながら鎌倉の音を聴いてみたい。
初夏には蛍が舞い山の湧き水がチョロチョロと流れる、逆川(さかさがわ)に掛かる小橋で出会い散歩開始である。大町の山手に当たる住宅街の細道を過ぎると、小町に抜ける通称「おめかけ街道」と呼ばれる、男心をくすぐる小道に出る。もちろん通称であるので道標もない。ただし急こう配の道なので、ゼイゼイと息が切れる。80歳になったら無理かもしれないという想いにとらわれながら、木漏れ日溢れる優しい音と里山の香りに出会う。頭上から木々のささやきが降り注いでくるような感覚におちいる。素直な自分に引き戻してくれる時間となる。ゆっくりとしたテンポで登って行くと、小型車が一台やっと通れる「おめかけトンネル」が現れる。まずそこでは、音で危険を察知する能力が問われる。小町側から登ってくる車がないか?耳を澄まして確かめなければならない。オートバイなら問題ないが、自動車なら入口で待ってもらうように走って合図しなければならない。スリリングな音を聞き分けるワクワクする時間である。
そして無事にトンネルを抜けて急な坂道を下ると、鎌倉時代にタイムスリップした様な山に抱かれた鎌倉八幡宮の甍を遠望することができる。特に早春には生命の息吹きが湧きたつような歓喜の歌で迎えてくれる。そしてさらに歩を進めると「腹切りやぐら」の下に出る。正面には滑川のほとりに建つ貴族の館を彷彿とさせる、瀟洒な音に包まれたお屋敷に出会うことになる。そばの東勝寺橋の欄干に身を任せ、木の間越しに川底を透かして見ると、さまざまに変化して流れるせせらぎの音を、目と耳で楽しむことができる。春には小アユが遡上し、自由に泳ぎ回る姿は、童謡『めだかの学校』の歌を思い出し、知らない内に溜まった日々の緊張を解きほぐし、素の自分に呼び戻してくれる。その先に以前は、黒板塀に囲まれ門の上から黒松がのぞく、瀟洒な二階屋が数件残されおり、当時のおめかけさんの様子を空想する楽しみに浸ることもできたが、今では男の淡い夢となってしまった。 


 現実に戻り、大通りを抜けて横浜国大付属小の脇を通ると、子ども達の明るく自由闊達な声が迎えてくれる。それは少年時代の自分に誘ってくれる音でもある。そして鎌倉八幡宮の東の鳥居から西の鳥居に歩を進めると、神域の厳かな空気と静寂が出迎えてくれる。休符の大切さとその表現する空間に出会う時でもある。特に12月31日に本殿で開催される除夜祭は、雅楽の調べを楽しみながら一年の感謝を寿ぐ機会となり、鎌倉に住み暮らす喜びと感謝を与えてくれる。そして参道を三の鳥居に向かうと、さまざまな外国語が季節によって変化しながら聞こえてくる。何語なのか出身地を想像しながらすれ違うのも楽しみの一つである。
そして毎回立ち寄る、ご夫妻で営まれる2階のカフェから流れるハワイアンの優しい調べに迎えられ、コーヒーブレイクとなる。お店が空いている時はコーヒー豆をひく音と香りに、甘党にはたまらない真っ白な「ふわふわチーズケーキ」が五感を満たしてくれる。カフェを後にすると、青春時代のセピア色をした感傷に浸りながら、段葛のなだらかな下り坂へと散歩は続く。足にも優しいゆるやかな下り坂は、春夏秋冬の移ろいを肌で感じさせ、これまでの人生を振り返りながら歩く楽しみを教えてくれる。さらに「レンバイ」の新鮮な野菜たちの喜びに満ちた合唱を聴き大町の小道へと戻ってくる。私の個人的な楽しみの一つは、ヒトがなに気なく奏でる多彩な音を聴くことにある。それは逗子と鎌倉を結ぶ車道の「安養院」側の狭い歩道を歩くと聴こえてくる。電柱があり人とすれ違うのにも微妙なタイミングを計らなければならない。その数秒の空間の中に「鎌倉人」の優しい思いやりや、微笑みに出会うことがある。その音を聴いた時、鎌倉に住めて良かったと叫び出したくなる。
秋冬春はこの順路で歩くが、夏は鳥の声に包まれながら長勝寺の裏山からお墓を通り抜け、富士山と由比が浜の海を眺める。そこではワーグナーが醸し出す広大な音の拡がりが身を包んでくれる。そして細い山道を降り材木座海岸にある海の家では、のんびりと波の音と海風の響きに身をゆだねる至福の時間となる。鎌倉は自然と古今豊かな音に出会える宝庫です。みなさ~ん歩きましょう!

                   谷口雄資(音楽教育)                          

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