6月は水無月≪無⇒「の」という意味≫、梅雨の季節、アジサイの花が咲きこぼれる季節だ。
アジサイの学名はハイドランジア、別名「西洋アジサイ」とも云う。日本原産のガクアジサイが改良されたものだ。
漢字の「紫陽花」は唐の詩人・白居易が付けた名前だった。 日本の平安中期の学者・源(みなもとの)順(したごう)が、日本のアジサイと同じものと思い込み、この漢字を当てはめ、間違ったまま定着したと伝わる。つまり当て字だ。実際の語源は、「藍色が集まったもの」を意味する「集真藍」と書く。(因みに中国ではアジサイを刺繍(ししゅう)した手毬を表す「繍球(しゅうきゅう)花(か)」と記す)いずれにしても紫陽花、集真藍は趣き深い字と言えよう。
さて、紫陽花が育てやすい土壌の性質があると云う鎌倉は紫陽花渋滞と言われるようにこの季節、特に賑わう。
今回は鎌倉屈指の花のお寺、「花塚」がある浄妙寺に紫陽花を愛で、鎌倉のルーツを探しに出かけてみよう!
鎌倉駅東口から金沢八景方面、ハイランド行のバスに乗り「浄明寺バス停」で下車。乗車時間は10分位。渋滞を考えると雰囲気を楽しみながらの散策がお勧め。浄明寺バス停から北に延びる道が浄妙寺の参道で、徒歩2分位で浄妙寺総門に着く。
浄妙寺の正式名称は稲荷山(とうかさん)浄妙廣利禅寺。臨済宗鎌倉五山第五位の格式高いお寺だ。創建は文治元年(1188)、当初は真言宗で極楽寺と称した。
開基は足利尊氏の先祖の足利(あしかが)義兼(よしかね)(源頼朝とは従弟であり、北条時政の娘・北条政子の妹を妻にしている。頼朝とは義兄弟の間柄)。開山は退耕行勇。1200年代には、建長寺開山の蘭渓道隆の弟子、月峰了然が住職となってから禅寺に改め、寺名も浄妙寺とした。盛時には池や鐘楼もあり、塔頭が23も数えた七堂伽藍が整備された広大な寺院であったが、度重なる火災などの為に次第に衰退。現在は総門、本堂、客殿、庫裏等で伽藍が形成されている。浄妙寺の東一帯は足利氏の鎌倉屋敷であった。鎌倉幕府滅亡後は東国を統治する鎌倉府が設置され、その主長は鎌倉公方と呼ばれた。
鎌倉のルーツは・・・・・・浄妙寺の東の山に鎌足稲荷という祠がある。祠がある林の中は清らかで厳かな聖なる場所だ。
説明版に次のように鎌倉の由来説が記されている。
「鎌足公は大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由比の里に宿泊されました。その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願を成し遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが当神社の始まりです。鎌倉の地名は鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています」
鎌倉のルーツは諸説あるが、浄妙寺の山号が鎌足稲荷に因む稲荷山、鎌足伝説がある千葉の木更津から贈られた鎌足桜、鎌倉の鎌と藤原鎌足の鎌などの共通する文字を鑑みると伝説の域を出ないとはいえ、信憑性も見え、一層興味がそそられる。この時期の浄妙寺裏山の「あじさい小径」の散策路は青紫色に染まる。南に目を向けると衣張山の佳景に感嘆の声が上がるだろう。禅寺らしい清楚な雰囲気が漂う喜泉庵で枯山水のお庭を眺めながらの抹茶の一服は至福のひと時に心満たされる。
≪鎌倉歴史愛好家 田嶋早苗≫
