長年独身を通してきた我が家の長男も伴侶に出会い、鎌倉八幡宮の段葛に美しい桜の花が咲き始めた頃、コウノトリがやっと機嫌を直し、彼のもとに可愛い赤ちゃんを運んで来てくれた。家族に少し遅めのプレゼントと喜びをもたらしてくれたのはいうまでもない。
振り返ると、この長男が生まれた頃、私は米国のイリノイ州で学生としてのん気に過ごしていた。昭和の団塊世代男子の通例として、子育てに関しては全く無知であり、奥さん任せの漠然とした思いしかなかった。しかし周囲の友人から、生まれて一年以内に子どもと一緒に暮らし始めないと、生涯子どもから「パパ」と呼んでもらえないよと言われ、内心焦ってしまった。とに角早く帰国しなければと思い、通常より半年早く12月に慌てて修士論文を書き上げ、急遽子育てに参加することになった。お蔭で、我が子の可愛さや肌の温もりを知り、なんとか「パパ」と呼んでもらえるタイムリミットを守ることができた。危ない綱渡りであった。
そして子育てに向き合った頃は、「パパのための育児書」というものを見掛けることはなかった。そこで、ジェフリー・マッソン著の動物行動学から見た父性「良い父親、悪い父親」という著書を購入した。父親としてどのように家族をリードしていくのかを動物たちが教えてくれる本である。そこでは、皇帝ペンギンが理想の父親像として描かれていたが、その時々の家庭の状況によって狼を手本にしたり、虎に知恵を借りたりしながら、なんとか子供に父親のバトンを無事に手渡すことができた!
現代では、コンピュターの目覚ましい発達と普及によって、全世界の研究者の知見に触れることが容易になった。そしてそこで生まれた果実を全世界で共有し、一般人でも簡単に閲覧し学ぶことが出来るようになった。とても有難いことである。
胎児や新生児の研究に関しても、さまざまな研究者の知見を知ることが可能である。人間が持つ五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)の中で聴覚について調べてみると、胎児の聴覚は妊娠中期(20週)から発達し始め、26週頃までには音を認識出来るようになる。母親の心音、血液の流れ、声などが羊水を通してくぐもった音として聞こえ、脳の海馬という記憶に関する部位が発達し、母親の声が認識出来るようになると言われている。そして胎児は単純な音よりも、音楽や言葉といった、より文化的で高度な音(リズム、テンポ、音の高低と抑揚、音程や音量などを含むもの)に対する反応が強い傾向がある。これは意外である。そして新生児は生まれる前から人の声を聴いて発声の構造を模倣し、生まれた国の言語と一致する音響構造を持つ言葉で、「オギャー」と泣きながら生まれてくる。実に凄い学習能力である。胎児期に聴覚を通して、認知 ➡ 学習 ➡ 行動 という一連の知的活動の基盤を創っていたことに驚かされる。
生後2ケ月から6ケ月の新生児になると、既に単純な音に関しては大人と同等の聴力を備えていると言われている。そして胎児の頃から言葉や音楽が持つ「音の流れの感覚」を体得することによって、他の感覚諸器官とつながり「思考の発達」へと導いてくれることが明らかにされている。
胎児は母親の羊水の中で、一日中ゴロゴロと寝ているだけかと思っていたら、意外にも立派で知的な暮らしをしている事に感心してしまう。感覚器官を総動員して、これから日本で生き抜いて行くための準備をしていたのである。
先日、息子夫婦が生後3ケ月の孫を連れて遊びに来てくれた。子育ての様子をじっと観察していると、教えたわけでもないのに、自分がやってきたのと同じような声掛けや歌を唄って、あやしている姿を見て嬉しくなった。動物たちの子育てと同じように子どもが生まれると、胎児期から幼児期の記憶が自然発生的に呼び覚まされ、各家族が代々踏襲してきた音を使って育児に向き合うのであろう。
特に戦後の混乱期を乗り越え、大家族制から個々の夫婦を中心とした小家族制に移り、家族や家庭生活の在り方そのものが変化した。戦前は、家父長制の影響か、または仏教の教えによるものか、食事を摂る時には静かに言葉を交わさずに挨拶だけで過ごすことが通例であった。家族の団欒の場という考えは希薄だったような気がする。しかし現在では両親が育児休暇をとって、積極的に子育てに参加できる環境が整えられ、子育ては夫婦二人で分担しながら行うことが当たり前になった。そこでは以前よりもさまざまな音に囲まれながら家庭生活が営まれるようになり、家族が醸し出す音にもその家庭の個性が表れるようになった。実に素晴らしいことである。しかし、親の勝手な行動や放任主義の行き過ぎから家族がバラバラで、会話が全くない無音の家庭が存在するのも事実である。そうなると音による家族間の交流がなくなり、一人ひとりが孤独の闇に閉じこもってしまうという、哀しい現実に直面することになる。実に残念なことである。
普段の生活の中で、じっくりと家庭や家族の音に耳を傾ける機会は稀である。どちらかというと、視覚優先で判断しがちになる。しかし日本語には「琴線に触れる」という言い回しがあるように、音は直接的に心に語りかける力を持っているものである。たまには静かな場所で昔を振り返り、祖父母や両親の声や呼びかけを思い出し、子育てに夢中になっていた頃の家庭のにぎやかな音に耳を傾けることも一興であろう。そこで感じた音たちが、老いても今ある自分に感謝する時間を与えてくれるはずである。
谷口雄資(音楽教育)

