普段、何気なく歩いている鎌倉、実は鎌倉はどこを歩いても秘められた歴史がある。鎌倉は歴史の宝庫だ。
今回は桜が咲き乱れる華やぎの若宮大路を歩き、古(いにしえ)を振り返ってみよう。
若宮大路は鶴岡八幡宮前から由比ヶ浜へ一直線にのびる1.8㎞の参詣道だ。京都の朱雀大路に倣って造営されたと伝わる。若宮大路の名称は鶴岡八幡宮の若宮の社殿に因む。若宮大路の中に全長457.1mの段葛という参道がある。
鎌倉駅東口から若宮大路に出て南へ由比ヶ浜方面に歩く。5~6分歩くと下馬交差点(四ツ角)に着く。鎌倉時代、現在の下馬四ツ角から鶴岡八幡宮までは、馬の乗り入れが許されず、お参りする時や若宮大路を横切る時も馬を降りなければならないのでここを下馬と呼ばれるようになった。若宮大路には「上の下馬橋(源平池の橋=太鼓橋)」、「中の下馬橋=二の鳥居付近」と「下の下馬橋=下馬四つ角」の三つの下馬橋がある。下の下馬橋の下には佐助川が流れている。
「げばばし」と書かれている橋の欄干がある歩道のタイルの模様は佐助川の流れをイメージしたものらしい。この付近には昭和12年、鎌倉町青年団が建てた「下馬」の石碑がある。その石碑にはここは重要な位置にある為、戦場になった事、1271年(文永8)9月12日、龍ノ口刑場へと護送される日蓮は鶴岡八幡宮に向かい、「八幡大菩薩様、法門のために霊験を現わしたまえ」と大音声で請願したとある。又、幕末の生麦事件の2年後、1864年(元治元)10月22日、この付近で「鎌倉事件」と呼ばれるイギリス人殺傷事件が起きている。様々な事件があった下馬だ。次に陸橋に上がってみよう。
陸橋から見える鶴岡八幡宮は圧倒的な存在感だ。当に頼朝が遷宮した陰陽道の四神相応の地とわかる。昭和35年頃より「昭和の鎌倉攻め」が鎌倉の聖域ともいえる鶴岡八幡宮の裏山まで迫ったが反対運動(御谷騒動)で開発は守られた。この橋の上から開発された場面を描いてみると背筋が凍る想いがする。反対運動の成果で緑に囲まれた鶴岡八幡宮を背にして高い建物がない若宮大路の風景は心安らぐ。次に海側を見てみよう。
大きな一の鳥居が目に入る。最初の一の鳥居は1180年(治承4)、頼朝が鶴岡若宮に建立したと伝わる。その後、暴風雨や地震、津波で倒壊したものの、その都度再建されている。現在の鳥居は江戸時代1668年(寛永8)、徳川秀忠の正室・お江の方の要請で備前国(岡山県)犬島から取り寄せた花崗岩で造営されたもので関東大震災の際、倒壊したが、昭和12年に倒れた石を使い再建している。地震の割れ目が生々しい。
橋を降りて段葛まで歩こう。段葛は1182年(寿永元)、頼朝の妻・政子の安産を祈願して造営したと伝わる。
最初の段葛は海岸まであったようだが、江戸時代1804年(文化元)、下馬迄に縮小され、更に1888年(明治21)、現在の地、二の鳥居迄に縮まった。〈1910年(明治43)、開通した江ノ電の小町駅や町役場はこの辺にあった〉。1877年(明治10)頃の段葛は木が1本もなかったと云う。1918年(大正7)に158本の桜とツツジが植えられた。現在の段葛の桜は、2年間の改修工事を終え、2016年(平成28)3月30日に完成した時に177本のソメイヨシノが植えられている。9年もの歳月が流れ、桜のアーチになるまでに成育した。桜の灯籠に明かりが灯る頃、昼間と違った幻想的な夜桜の光景に魅了される。
≪鎌倉歴史愛好家 田嶋 早苗≫
