音について語る時、実にさまざまな音が頭に浮かんでくる。日常生活の中でたえず聞く、何か注意を喚起するような機械的な音、風の音や水の音など自然がもたらしてくれる心休まる音。人と人が語り合う時に生まれる優しい音や哀しい音、新たな出来事や知識を伝えてくれるメディアの音。考えれば、音の洪水の中で生活しているようなものである。
音楽は元来、世界各地の人々の生活や地域に根差したものであった。しかし音響機器の発達やメディアの隆盛により、さまざまなジャンルの音楽が生まれ分岐し、それらを容易に享受することが可能になった。しかしその反面、その果実を聴取する立場からみると、あまりにも複雑になり過ぎ身動きがとれなくなってしまう。特に歳をとると静かで変化の少ない環境を求める傾向が強くなり、何がなんだか解らなくなってしまう。
したがって、ここでは聴く音楽を単純明解に、「心に沁みる音楽と身体が反応する音楽」という二つの視点から、自分自身の音楽体験を通してその効能について考えてみたい。
「身体が反応する音楽」 この事象を強く意識したのは、2002年に開催されたサッカーの日韓ワールドカップである。日本が劇的な初勝利を挙げたロシア戦であった。
まずこのプラチナチケットが当たったのが奇跡的なことであり、最初に当選券が郵送され、それを持って指定された近隣の郵便局で、ワクワクしながら入場券を手にすることが出来た。試合当日は本当に夢のような瞬間であった。ワールドカップ初勝利の興奮と余韻に包まれ、「にっぽんチャチャチャ!」の応援歌を、手を叩きながら歌い駅まで歩いた道のりは、連帯感や高揚感を感じ幸せホルモンが体内に満ち溢れた時間であった。
そして同じように夏になると、各地のお祭りの様子や有名歌手のライブ、ロックフェスティバルなど、野外コンサートを放映している映像に触れる機会が多くなる。そこでは、大勢の人が音楽に身を任せ、一種の集団催眠にかかったように、大きな声で歌いながら激しく身体を揺り動かす姿がある。このように身体が反応する音楽の中に身を置くと、知らない内に身体中にアドレナリンが充満して、生きる活力が湧いてくる。スポーツ観戦で体感するのと同じような、集団の中での高揚感や連帯感に包まれ、音に酔いしれるという状態である。これは日々のストレスを発散し、新たな活力を充電してくれる尊い時間でもある。しかし一方で、ヒトが個として持つ「理性や判断力」が希薄になることがある。音楽が集団心理を助長してしまい、個人としての尊厳が埋没してしまう危険性をはらんでいる。これを第二次世界大戦時に戦意高揚のために創られ利用された、「軍歌」の中にみることができる。音楽の危険で哀しい負の遺産である。
「心に沁みる音楽」の体験は多々あるが、米国のボストン郊外で開催されていたタングルウッド音楽祭で、夏休みの3ケ月間大学での学費を得るために、リゾートホテルでアルバイトをしながら演奏会に通ったことを思い出す。そこでは、音楽専攻の学生がウェイターとして雇用され、毎週一回開催されるサロンコンサートに出演し、演奏体験を共有することになっていた。その見返りとして音楽祭の芝生席で自由に観覧出来る無料学生券を戴いた。音楽ホールの周囲の芝生席にカーペットを敷き、寝っ転がったり瞑想したり、好き勝手なスタイルで著名な音楽家の演奏を鑑賞することができた。今でも印象に残っているのが、バーンスタイン指揮ニューヨークフィルのブラームスの交響曲第一番である。夜空を観ながら屋外で自由な姿勢で静かに聴く音楽は、心に沁みて自分というものを個の世界に深く導き、生きている喜びに誘ってくれるものであった。
さらに思い出すのは音大に就職したての頃、ピアノの巨匠と呼ばれていた、ウィルヘルム・ケンプ氏との出会いがある。82歳で最後の日本公演となったコンサートホールでのリハーサル時の想い出である。当時、目と足が少し不自由になっておられたので介添え役として、控室からステージのピアノまで手を取りながら案内し、二人だけの空間で演奏を聴かせてもらう幸運に巡り合った。ピアノ椅子に座るまでは、マシュマロのように柔らかい手と優しい目を持つ老人だなぁ!という印象であった。しかし椅子に座った途端、それまで丸まっていた背筋がピーンと伸び、無造作と思えるようなタッチで、シューベルト作曲「即興曲第3番」の憂いを含んだメロディが流れてきた。ピアノの響きがホールの高い天井までゆっくりと上昇して行き、それが無数の星にわかれ、空から音が降って来るような感覚に包まれた。世の中に、こんなに美しい世界があるのだろうかという想いに心が高鳴った。今でもその感動が胸に残っている。このような空間に聴衆を導けるのは、80歳を超えて初めて到達できる境地であろうと夢想している。
歳を重ねると、集団の中でアドレナリンを出し連帯感に酔いしれる機会も少なくなってしまった。しかし幸せや哀しみを肌で感じ、全身で叫び出したくなるような思い出は、どこか心の片隅に残っているものである。集団の中での刺激的な興奮や連帯感は、テレビでのスポーツ観戦や音楽ライブなどでも味わえる。少量ではあるがアドレナリンも出ているはずである。また多量のアドレナリンが出ても処理に困る年頃である?
我々はたくさんの体験や感情の起伏をくぐりぬけて、今がある。その折々を音で振り返ってみると、心の中に清涼感とともに、生き続けるための新たな活力が生まれてくるのではないだろうか。読者の方々の胸にある「心に沁みる音楽と身体が反応する音楽」が、これからも皆さんを支え続けてくれると信じている。
谷口雄資(音楽教育)

